本誌は10月号が32周年記念号になりました。あっという間だったとも、遥けくも来つるものかなとも思います。バブルが弾けたときの出発で、編集には少し自信があったものの営業は全くの素人で苦労の連続でした。経理に私の印鑑を偽造され、少額でしたが横領されたこともありました。
創刊2年目、ダイエーの創業者・中内功氏から「3年続けなさいよ。そうすれば読者が増えるし、企業広告も入ってくる」と励まされました。氏は社へも応援に見えたものです。
90歳になるまで「雑誌の編集」という仕事が面白くて続けてきましたが、やや気力や体力に衰えを感じてきました。砂ぼこりを立てない軟着陸を考えています。一方、90歳を超えても矍鑠としていた鐘紡中興の祖・伊藤淳二氏や非破壊検査を率いた山口多賀司氏のありし日を思い出して、自身を鼓舞しています。
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いま新聞や雑誌の活字メディアは、ネットの成長と拡大に押されて苦しい戦いを強いられています。しかし読者は正確な情報と新鮮な発信を待っています。いま活字メディアは長い歴史に甘えてマンネリ化しています。本誌とてその謗りは免れません。
昭和の大評論家・大宅壮一氏は「ジャーナリズムの反対語は?」と問われたとき、ずばり「マンネリズムだ」と喝破したものです。32周年を機に本誌は新たな挑戦もするつもりです。皆様の忌憚なきご批判やご提案をお待ちしています。
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新聞やテレビで「令和のコメ騒動」とやらが話題になりました。スーパーなどにコメを求めて人々が殺到し、棚が空っぽになったところをテレビが報じ、さらに慌てたり焦らせています。原因は猛暑や大雨などの異常気象による不作と、外国人旅行者の消費増などだそうです。
しかし戦中戦後の深刻な飢餓を乗り越えてきた私たちの世代には、今回のコメ騒動など笑止千万です。静岡県の駿河湾に面した町でしたが、コメを見ることは殆どなく、さつまいも、じゃがいも、かぼちゃなどが主食の代わりでした。
人々が農家へコメを買いに行っても現金は相手にされず、着物や絵画などの美術品と交換してもらっていたのです。中学1年のとき、12時になると弁当を持ってくることが出来ず、そっと校庭に出ていったり、教科書を立てた陰でさつまいもを食べる同級生もいました。
一過性のコメ騒動などに踊らされている場合ではありません。本誌は8月号で、東南アジア有事でシーレーンが封鎖されたときの超食料危機と対策を報じました。さらに異常気象による災害も日本列島を襲っています。食料安保に国を挙げて取り組み、コメの備蓄を含め真剣に対応するときです。
編集主幹 伊藤寿男
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