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テーミススピリッツを凝縮した往来之記を読めば、
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(編集後記に代えて)

 今年は終戦から75年目ということもあり、メディアは先の大戦に係る記録や体験を競って報じました。8月号の本欄で「命ある限り八月十五日」という俳句を紹介したこともあって、読者の方や友人からもさまざまな体験や思いが寄せられました。  当時、10歳だった私が86歳ですから、戦場や銃後の体験を語る人が高齢化しているのは当然です。それだけに、今こそ一億人が一億の記録を残すべきだと痛感しました。  11歳で満州から引き揚げてきた読者の方は、体験を妻にも子どもにも語らず墓場へ持って行くという手紙をくれました。行間から苛酷だった帰国に対する怒りと無念が伝わってきました。  私の叔父も満州から一団を率いて引き揚げてきましたが、ある夜、父と兄に「ソ連兵が『女を出せ』と押しかけてきた。若い女性を丸坊主にさせたり顔に煤を塗らせたりしたが……」と語っていました。

 他のソ連兵に襲われた一団では、40代の女性が「若い女性を犠牲にするわけにはいかない。私が」と名乗り出たという話もあります。引き揚げ船が着く舞鶴や佐世保に産婦人科医が集められ、堕胎を実施していたのです。関係者が沈黙していたため戦後も長い間「闇の中」でした。  数年前、台湾南部の高雄市に赴任していた商社マンから聞いた話も忘れられません。 「本社から紹介されてきた何人かの年輩者が、最南端のオーラン岬(鵝鑾鼻)へ行ってくれという。なんでと思いながら案内すると、彼らは海に向かって手を合わせたり、涙を流しながら大声で叫ぶのです。帰りの車の中で『輸送船で南方へ向かうとき甲板に群がり、祖国を見る最後だといい合って凝視し続けたものだった。幸い私は生き長らえたが、戦友の殆どはあのまま祖国の土を踏めなかった』と話してくれました」  戦後生まれの商社マンでしたが、声はくぐもっていました。

 朝日新聞社と創業家の村山家の株式を巡る対立を活写した樋田毅氏の『最後の社主─朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム』を一気に読みました。私は村山美知子氏には会えませんでしたが、母親の於藤氏には2回会いました。  彼女は朝日が村山家をないがしろにしていると怒り、トップだった美土路昌一氏を「美土路」と呼び捨てにし「所詮うちの番頭じゃないの。全日空へ行っちゃって」とこきおろしました。容貌を含め迫力がありました。  かつて、経営評論家の三鬼陽之助氏から、「終戦直後、朝日が労働争議で揺れたとき身売りの話があった」と聞きました。後にマスコミ三冠王といわれた水野成夫氏らが動いたそうです。「書いて下さい」といったのですが…。


編集主幹 伊藤寿男

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