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大宅文庫を残せ‐雑誌は情報の宝庫だ
メディアや企業を刺激する
昭和を代表する評論家・大宅壮一が創ったユニークな雑誌図書館は活用を待っている
本誌編集主幹 伊 藤 寿 男


■経営不振脱却へ支援を求める
 東京・世田谷区八幡山にある日本唯一の雑誌図書館である大宅壮一文庫(以下文庫)が経営不振に陥り、各方面に支援を求めている。  私は文庫の生みの親だった大宅壮一氏が率いたノンフィクションクラブ(以下Nクラブ)の一員だったことから文庫設立の経緯に関わりを持っていた。それだけにインターネットに押されて利用者が減り経営が厳しくなったことが悔しくてならない。  9月に入って新聞各紙が文庫の経営難と支援の詳細を報じた。支援組織が「大宅文庫パトロネージュ」という名称で、代表がデヴィ夫人というではないか。彼女は大宅氏との対談以来、氏の信奉者になっていたことで、代表を買って出たという。  文庫は「パトロネージュ」を中心に、企業、団体から個人まで広く協力=寄付を求め始めた。50年前に開館した当時は苦戦も続いたが、その後、学界やメディアから膨大かつユニークな情報の宝庫であることが知れ渡り、利用者は年間3万人を超えた。それが赤字を続けるようになったのは、やはりインターネットの急速な発達と普及だった。  大宅氏が亡くなった後、夫人の意向を受けたNクラブを中心に、膨大な雑誌や書籍をどう活用するか何回も会議が開かれた。私も末席に連なったが、某財団に買い取って貰えないかとか、その頃急成長していた某銀行に頼ろうなどという話ばかりで現実的なプランは出てこなかった。  それでもやっと現在の文庫のような形での設立が固まったものの、先立つものは資金である。出席者は黙り込むだけだった。大宅氏の生前、若いライターや編集者を育てる「大宅マスコミ塾」が作られ、評論家の草柳大蔵氏が塾頭を務めていた。その氏から「先生には黒字と報告していたが実際は赤字だった」という報告もあり、こういう組織の運営が難しいことを全員が痛感していた。  そんなとき野間省一講談社社長(当時)が「足りない分は私のところで引き受けますから」と発言し、一気に設立が具体化したのだった。小谷正一氏(毎日新聞社を経て電通)は、私によく語りかけてきた。 「A出版社のB社長やC出版社のD社長もいたが、カネの話になると一言も発しないから嫌になる。結局、それまで黙って成り行きを見ていたオーナー社長の野間さんにみんな甘えてしまったわけだ。しかも出しゃばった風に見せずタイミングよくいい出すあたり流石だったねえ」



■井上靖氏が迷った本を即座に
 大宅氏の戦後の活躍舞台は、主に文藝春秋、中央公論社、朝日新聞社の『週刊朝日』で、講談社とは縁が薄かった。それがあるとき梶山季之氏が『週刊現代』に連載していた小説が作者の了解も得ぬまま休載になった。編集部は警視庁が猥褻の疑いで目をつけたという話に慌ててしまった。  梶山氏も若い作家に煽られて抗議することになったが、交渉を師の大宅氏に頼んだ。結局、連載中止後の原稿料の全額を払うことで和解となり、大宅氏と野間氏が席を共にしたがたちまち意気投合した。それ以後、大宅氏は亡くなるまで講談社の顧問になり、4か月に1度の割で懇談の席が設けられ、第1回は草柳氏が、第2回は梶山氏も同席した。  Nクラブは大宅氏の死後、それぞれの立場で文庫設立に協力した。梶山氏は講談社から得た全額を文庫に寄付したし、経営評論家の三鬼陽之助氏は親しい企業に寄付を要請したものだった。他のメンバー、例えば大森実(国際問題評論家)、扇谷正造(元『週刊朝日』編集長)、小石原昭(知性コミュニケーションズ代表)の各氏も理事などを務める一方、マスコミで宣伝に努めたのだった。  大宅氏が貴重な雑誌や書籍を収集した動機は原稿執筆のためだが、方法に感嘆する。大宅全集が完結した記念パーティで作家の井上靖氏が自身の体験を披露した。文藝春秋の講演会で佐世保市に行ったときだった。講演前のひととき、街の古書店に入った井上氏の前に「出島」に関する書籍、雑誌、資料が約100点も置かれていたのだ。  井上氏は「これで小説が2〜3本は書ける。しかし少し値段が……。また明日来よう」と考え旅館に戻った。翌朝、井上氏はやはり買おうと思い古書店へ行くと、あの箱が空っぽになっているではないか。親父に尋ねると「あなたが帰ったあと大宅さんが見えて全部買って下さり、今朝一番でお宅へ送りました」という。  井上氏は次の都市へ行く汽車の中で大宅氏に「あれを譲ってくれませんか」と頼んだ。すると大宅氏は「それは駄目だ。君が迷ったとき、あの書物群と君との縁は切れたのだ」といったという。以後、井上氏は少しでも欲しいと思う書籍や雑誌があれば逡巡することなく、その場で購入してきたと述懐したのである。  大宅氏の3女で、現在の理事長である映子氏は「父が地方へ行くと毎日のように雑誌が詰められた段ボールが送られてきた」と語っている。



■新事実や奇妙奇天烈を発掘へ
 大宅氏は厳しい人物論や毒舌で世間からは怖がられていたが『大きな駄々っ子』の著書もある夫人の昌さんには頭があがらなかった。評論やノンフィクションは小説と違って、書籍になってもベストセラーになることは少なかった。そんな中で昌さんは奔放な大宅氏を支えてきたのだ。  それだけに文庫への思い出は切実だった。昭和58年、文庫が軌道に乗ったことと昌さんの喜寿を祝うため、Nクラブの会員が集まった。半分は亡くなっていたが、司会を務めた扇谷氏をはじめ草柳氏、カメラマンの渡部雄吉氏、読売新聞政治部で活躍した宮崎吉政氏らの顔があった。終了後、草柳氏と私は昌さんを自宅まで送り、玄関前で約20分も話し込んだ。その頃、やや距離のあった大宅家と草柳氏の間のわだかまりが消えていくのを実感したものである。  そんな思いが籠った文庫をこのまま朽ち果てさせてはならない。事務局によれば、最近は学者の利用が多いという。明治、大正、昭和の政治、経済から事件、犯罪、風俗まで後世に残る論文が何百本も書ける宝庫である。次に、メディア関係者にネットで情報を集める簡便さを排して、ナマの情報に接しろといいたい。当時の編集方法や表現から印刷、紙質まで目で見、手で触ることで想像は膨らみ記事は重層的になる。  さらに企業の宣伝、広報、営業の現場にもぜひ文庫へ足を運んでほしい。当時のヒット商品はどのように生まれたか、世間はどう反応したか、古くて新しいフレーズを発見することができる。文庫には新発見と奇妙奇天烈が満ちており、新たな発掘を待っているのである。  デヴィ夫人が代表のパトロネージュは、個人なら1万円から100万円まで、企業や団体は10万円から1千万円まで支援を受けつけている。それぞれに入館料無料やイベント優先受付などの“特典”が用意されている。 寄付金の郵送先や支援の詳細を知りたい人は、〒156‐0056 東京都世田谷区八幡山3‐10‐20 公益財団法人大宅壮一文庫パトロネージュ係へ連絡されたい。電話は03‐3306‐4661。

(2019年10月号掲載)
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