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■イランの被害は“想像以上”と
先の東日本大震災で起こった福島第一原子力発電所の事故は、原発事故の恐怖をまざまざと思い出させた。しかし、原発プラントの安全性を脅かすのは天災ばかりではない。サイバーテロもそうだ。
今年１月、米国のクリントン国務長官とイスラエル諜報部モサドのメイル・ダガン元長官がほぼ同時に「イランの核開発は数年前まで逆戻りした」との発言は、決して偶然の一致ではなかった。「スーパーサイバー兵器」と呼ばれ、その存在が明らかになって以来、世界の軍事関係者たちを震撼させた新世代マルウエア（悪性コンピュータウイルス）「スタクスネット」は、やはりイランの核開発基地を狙い撃ちしようとしたＣＩＡ（米国）とモサド（イスラエル）の合作だったのだと、両国高官の発言を聞いて、専門家たちは意を強くした。
イランの核開発をめぐっては、自国の安全保障に直結するイスラエルと、その同盟国で、中東地域に核拡散の連鎖が生まれるのを極度に警戒する米国が神経を尖らせていた。
‘07年２月に起きたイランの核科学者暗殺事件、そして昨年11月に起きた２人の科学者に対する車上狙撃事件（１人死亡、１人重傷）はともにモサドによって計画実行されたものだというイラン側の主張は、現在では国際世論の通説にもなっている。
さらに『ニューヨーク・タイムズ』が報じた「イランの遠心分離機に齟齬が生じたと聞いて喜んでいる。米国と同盟国は、それをさらに完全なものにするためなら、いかなる努力も惜しまない」というゲイリー・サモア米大統領補佐官の発言、また同紙の取材に応じた米高官の「イランの（核開発計画の）後退は過小に報告されている」という発言は、昨年12月の、アフマディネジャド・イラン大統領の言葉がはったりで、被害は想像以上に深刻だという観測に傍証を付け加える格好となった。
大統領はその記者会見で、「スタクスネットがイランの核施設の遠心分離機にﾔ軽度のﾕ被害を与えた」と声明を発表。被害が軽症だったことを強調していた。
しかし、この被害について最も詳細に報じたワシントンの民間機関・国際科学安全研究所のレポートによれば、「スタクスネットはイラン・ナタンズ核プラントに侵入し、’09年の中盤から終盤にかけて核燃料抽出過程における984もの工程を作動不能に陥れたはずである」という。
イラン側がこうした情報を公表することはないので真偽は確認できないが、スタクスネットによる被害が出ているとすると、感染した遠心分離機のシステムごと新しくしなければならず、少なくとも数年は核開発の研究が遅れるという。
■ＵＳＢを介した感染の可能性
スタクスネットの存在が初めて公にされたのは、昨年６月のこと。ベラルーシのサイバーセキュリティ専門企業がイランのクライアントの要請でコンピュータを調べたところ、この悪性ウイルスを発見した。
スタクスネットはマイクロソフト・ウィンドウズのソフトを基盤とし、世界的な重機械メーカーであるシーメンス社の産業用コントローラーだけを標的とするところに特徴がある。コントローラーから遠心分離機に送られる信号に狂いを生じさせた後、偽の信号を発して異常が起こっていないように見せかける。「これによってイランの核燃料の濃縮作業は莫大な被害を被ったはずだ」と専門家たちは指摘する。
「これは、次代の世界的な兵器開発競争をリードする、画期的なサイバー兵器のプロトタイプになる可能性がある」――。
第一発見者である技術者はそう述べて、「これだけ高度なマルウエアは、国家的な支援体制がなければ到底作れない」と付け加えたという。当然のことながら、念頭にあったのはイスラエルと米国だったはずだ。
しかし「現在のところ、誰がこのマルウエアを作製したかを科学的に立証するのは非常に困難だ」と専門家は口を揃える。
イランではすでに五つの核基地と３万台の産業用コンピュータがスタクスネットに感染したというが、ではこのマルウエアはいったいどこからイランの核基地に侵入したのか。当然のことながら、核施設内のコンピュータ・ケーブルは外部とは一切接続されていない。
長らく謎とされてきたこの疑問にヒントを与えたのは、またしてもウィキリークスだった。’09年４月、ホルムズ海峡を横切ってイランに向かっていた貨物船が、アラブ首長国連邦（ＵＡＥ）のドバイ港で足止めを食った。この船に積まれていたのが、111箱に梱包されたシーメンス社製の産業用コントローラーだった。
この事実は、電子化された米国務省の極秘資料の中にあった。とすれば、ここで停泊を指示した何者かの意思によって、おそらくはＵＳＢ（パソコンの周辺機器をつなげたり、データ転送を行うための共通規格）を介して、コントローラーはスタクスネットに感染した可能性が高いということになる。それが誰なのか、いまだ判明していないが、先述のとおりイラン側が最有力容疑者と睨んでいるのは、イスラエルと米国だ。
■中国では600万台もの感染例が
スタクスネットの被害は、その後アジア地域一帯に急速に広がった。２か月後には、やはりシーメンス社のコントローラーを多用しているインドとインドネシアで、そして昨年10月には、「中国で600万台ものコンピュータが感染した」と香港紙が伝えた。
同紙によれば、中国最大の水力発電所の三峡ダム、北京交通システム、北京首都国際空港第３ターミナルの貨物および運営システム、上海市磁気浮上式鉄道（リニアモーターカー）、北京〜天津間高速鉄道、北京・広州・深1市の地下鉄統制システムなどの基幹インフラがシーメンス社のシステムを採択しているという。それらが感染した結果、実害がどの程度だったのか、詳しい報告はないが、スタクスネットによる被害があったことは中国の国営放送も認めた。
一方、日本への影響はどうなのか。ＩＴセキュリティ大手、サイバーディフェンス研究所の上級分析官・名和利男氏がこう警鐘を鳴らす。
「昨年から国内でも、いくつかの発見例が報告されているが、まだ実害があったという話は聞いてない。日本の場合、電力会社はある程度ウイルス対策が進んでいるものの、ガスや水道のほうはまだまだ準備が足りない状態だ。米国に比べ、サイバーテロに対する国民の意識は極めて低いといわざるを得ない。政府が率先して啓発に努め、ウイルス対策をリードしていく必要がある」
こうした危機的状況にもかかわらず、日本では先の事業仕分けでこうしたセキュリティ分野の予算が大幅に削られた。治安や安全保障に関する、民主党政府の危機意識の低さがまた一つ浮き彫りになったのだ。
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